二次創作の更新履歴など
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 公式部分 捏造部分 昭和61年(1986) 05月17日 あかり誕生 09月20日 ヒカル誕生 12月14日 アキラ誕生 平成10年(1998) 元旦 数13歳 秋? ヒカル(小6・12)と佐為が出会う 12月 ヒカルとアキラ出会う 平成11年(1999) 04月 中学入学 10月 アキラ(中1・12)プロ試験合格 12月 ヒカル(中1・13)院生 平成12年(2000) 05月 第9回若獅子戦(アキラ優勝) 10月 ヒカル(中2・14)プロ試験合格 平成13年(2001) 04月 SAI VS KOYO 05月05日 佐為 消滅 05月 第10回若獅子戦 07月 ヒカル(中3・14)プロ復帰 平成14年(2002) 03月 中学卒業 04月 あかり高校進学 05月 第1回北斗杯 05月 第11回若獅子戦 平成17年(2005) 04月 あかり(18)大学進学 平成21年(2009) 04月 あかり(22)自動車販売会社へ就職・戸田優作と新人研修で知り合う 平成23年(2011) 01月 平八(75)横断歩道で転倒骨折・入院 02月 平八宅 空き巣に入られそうになるも隣家が気づき難を逃れる。 行洋(65)現役引退・帰国 04月 平八退院 自宅へ戻る 07月 平八、野球観戦中 熱中症で一週間入院。退院後は正夫宅へ。 ヒカル(24)平八宅でアキラと同棲を始める。 平成25年(2013) 04月 あかり(26)広島の販売会社へ転籍 07月 あかり(27)優作と結婚 平成27年(2015) 07月 あかり(29)長女里帰り出産・ヒカル夫と間違われ立ち会いさせられそうになる。その後3年間(平成30年(2018)07月まで)の育児休暇取得 平成29年(2017) 01月 優作(30) 米子へ転勤 03月 あかり(30)妊娠(次子)判明 10月 名人戦 第5戦 皆生温泉 現名人塔矢アキラ 挑戦者進藤ヒカル 大盤解説倉田厚 助手奈瀬明日美 ヒカル・あかり米子駅で再会 11月 あかり 双子出産 平成31年(2019) 01月 あかり(32)職場復帰 03月 優作 労災死 04月 あかり(32)退職・帰京 塔矢家の離れに娘たちと住むことになる 10月 あかり(33)第4子出産 平成33年(2021) 01月 アキラ(34)に断れない筋から見合いが持ち込まれそうになる 02月 アキラ あかりとの婚約を発表 05月 アキラ あかり 結婚 平成34年(2022) 05月 あかり(36) 第5子(アキラ第1子)出産A型 平成37年(2025) 05月 あかり(38) 第6(B型)・7(O型)・8(O型)子(アキラ第2・3・4子)出産 PR
●戸田あかり(旧姓:藤崎) 血液型O型
中・高・大と囲碁部または囲碁サークルに所属。 結婚前の職場でも囲碁部に所属。 アマチュア二段。 夫と親しくなったきっかけも囲碁。 大学卒業後自動車メーカー系列の販売会社(埼玉県)に就職。 新人研修で整備会社(広島県)から来ていた夫と親しくなる。 (夕飯時あかりが「週刊碁」夫が「塔矢名人詰碁集」をもっていたとか) 4年後あかりが広島の販売会社へ転籍し結婚。 転籍2年目に妊娠判明。3年目から産休。育休取得中(3年目) 前年、夫の転勤により米子へ転居。米子へ転居後に次子の妊娠が判明。育休明けと産休開始が二ヶ月しかないので復職せず療養休暇にし次子の産休に入る。現在妊娠八ヶ月。双生児(女児)とわかっている。 ヒカルとの関係はヒカルを知らない人には「誰それ」 知っている人は紹介をねだるパターンが続いたため周囲には話さないようにしている。 夫も碁の強い幼なじみがいるとしか知らない。 長女出産時にヒカルが産院へ運んだため勘違いされヒカルは出産に立ち会いさせられそうになった。 ●戸田優作 あかりの夫 社とは中学時代に同級生 自動車整備士 趣味:囲碁 アマチュア二段 ●進藤ヒカル 血液型O型 プロの囲碁棋士。 本因坊・碁聖のタイトルフォルダー。 祖父の家で塔矢アキラと同棲中。 (祖父はヒカルの両親と同居) ●塔矢アキラ 血液型AB型 プロの囲碁棋士。 名人・棋聖・王座のタイトルフォルダー。 進藤ヒカルと同棲中。 表向きは両親と暮らしていることになっている。 半年前、あかりの姉の出産の際に運転をした。 25歳を過ぎ後援会などから見合い攻勢が来ている。母が防いでいるので痛痒はあまり感じていない。 ●奈瀬明日美 プロの囲碁棋士。 前期女流名人挑戦者。 米子へ来る直前妊娠判明。流産の経験があるので大事を取って飛行機ではなく寝台特急で帰京することになり旧知の片桐の妻に市内を案内してもらうことになった。 ●片桐夫妻 ○片桐恭平:プロ試験では上位にはつけるが後一歩及ばず年齢制限前に通過できなかった。米子の温泉旅館の次男。跡取りではないけれど戦力なので家を離れられない。 ○片桐麻衣(旧姓:佐々木):元院生で院生時代奈瀬と仲がよかった。あかりの夫の同僚(総務部) プロ試験予選で夫と知り合う。 公民館の囲碁サークルであかり夫婦と交流がある。 ●進藤家(父:正夫・母:美津子・祖父:平八)・藤崎家(父・母 姉は結婚し埼玉県川口市内に夫や娘二人と住んでいる。) ヒカルの父正夫とあかりの父は幼なじみの親友。 どちらもヤクルトファン。最初はヒカルが平八のために買った 大画面テレビで野球観戦していたが(平八もヤクルトファン) どちらも子供が独立した気安さから一緒に夕飯を取るようになり。 さらにもう一組幼なじみの高田徹平・瑠璃子夫妻(オリキャラ)と塔矢行洋・明子夫妻も合流し毎夜持ち寄り夕食会。 ヒカルとアキラも家にいるときはお相伴に預かっている。あかりか姉かどちらかに3人以上子供が出来たら1人を進藤家に養子にもらう約束になっている(あかりたちは知らない)。妻四人組も一緒に旅行に行ったり仲がよい。 ●塔矢家(父:行洋・母:明子) 健康上の問題もあり現役を引退し、中国から帰国。行洋は囲碁の研究、明子は手芸など趣味で日々を過ごしている。悩みの種は表向き独身のアキラへの見合い攻勢。
父が亡くなったのは僕が八歳の時だった。
本因坊六期目の防衛戦に敗れて一ヶ月後、五十二歳、心筋梗塞だった。 早生まれで高校卒業式の一週間後に父と結婚し、僕を産んだときまだ十八歳だった母はまだ二十六歳だった。 母は二年後、父の三周忌の後に再婚した。相手は六歳年下の本因坊光為、本名は進藤ヒカル。父から本因坊を奪った人だった。 一時期週刊誌が記事にしようとし僕も校門の前で待ち伏せされ取材された。記者は僕から彼への恨み言を引き出したがっていたがそんなことはできなかった。父と彼の七番勝負はどれも半目勝負の名局揃いだった。そして今でも彼と母の間には常に父がいる。 二十六歳違いの母を父は溺愛していたそうだ。父には大恋愛の末に結婚した先妻がいたが母の生まれる一年前に交通事故で亡くなっている。母はこの先妻にそっくりで名前も同じだった。 母は早くに両親を亡くし母方の祖父に育てられた。この曾祖父が父のファンで後援会にも関わっていた。母が高校三年生の夏、記録的な猛暑のせいか曾祖父が亡くなり身寄りのない母が一人残されてしまった。曾祖父の葬儀で初めて会った母を父が強引に引き取り、複数いたらしい女性たちと綺麗に別れたそうだ。彼女らは両親が結婚した後も家に出入りし何もできなかった母を教育したらしい。母は懐かしげにその当時のとこを語ったし僕も家や父の碁会所で何度も彼女らに会ったことがあった。 僕が初めて彼にあったのは僕が四歳、彼がプロ一年目の十六歳の時だった。彼は体調不良による二ヶ月の休養から復帰したばかりで異母兄で父の一番弟子だった緒方さんが研究会に連れてきてくれたのだった。僕は当時十三路盤から十六路盤にかわったばかりでうれしくて誰彼構わずに家に来る人に対局を申し込んでいた。父に会いに来る人はプロやアマチュアでも高段者が多かったから簡単に決着がついて仕舞うのだがきちんと検討までしてくれる人は稀だった。ひどい人になると十手もゆかないでわざと中押しで負ける人もいた。そんな中、彼は研究会に参加するために来たはずなのに何局でも僕に付き合ってくれきちんと僕の敗因を教えてくれ僕がよい手を打ったところはほめてくれた。 彼は端から見て判るほど父を崇拝していた、その彼がプロ四年目の二十歳の時 本因坊戦一次予選から上がってリーグ戦まで上がった。そして挑戦者となり最終局までもつれ込んで父から本因坊を奪った。 父の通夜の間 呆然としたままの彼は翌日の出棺のとき無言のまま涙を 流した。まるで真珠のように綺麗な涙だった。
本因坊の挑戦者となるまで彼は一週間とあけずに父に会いに来ていた。
父が亡くなってからも彼は月に三・四度と我が家を訪れ母に父の思い出話を聞いていた。時には父の愛人だった人たちが加わることもあった。 父の亡くなった年と翌年は台風の当たり年だった。台風が関東を直撃する度に翌日が対局でも彼は泊まり込んでくれ台風のさったあと家や庭の手入れをしてくれた。 彼と母の睦言はいくつもの壁や襖に遮られても切れ切れでも僕の部屋まで聞こえた。両親の睦言を子守歌に育った僕は最初さほど気にしていなかったがある日気がついてしまった。彼が呼んでいるのは父と母、母が呼んでいるのは父と彼。 母が昨年亡くなり僕らに残されたのはお互いと生まれて半年の妹・望だけだった。 彼は今でも涙を流しながら眠っている。そんなとき僕は彼の布団に潜り込むそうすると彼は彼は「さい・先生・明子さん」といいながら僕を抱きしめてくれる。 いつかきっと僕の名前を呼んでくれと僕はそのたび望む。
今日の彼は十段戦の立ち会いで市ヶ谷の総本部に行っている。一日棋戦だから泊まりの仕事ではないけれど終局の時間が判らないからと僕と望は進藤の祖父母の家に泊まることになっている。
予定では祖母が望を保育園まで迎えに行った後この碁会所へ来てくれることになっていた。 気がつくと碁笥のしたに市河さんからのメモがあった。いつの間に。カウンタを振り向くと市河さんが手招きしている。カウンタへよると「進藤君のおばさん急用でこれなくなったのであかりが代わりに来るから一緒に帰ってね。」僕は多分顔を顰めたのだと思う。あかりさんは彼の幼なじみで市河さんとは友だちだ。僕は彼が大事にしている彼女が嫌いだった。 次から次に彼の中学時代の友だちが来る。彼と同期の緒方さんも来た「進藤におもしろいものがみれるぞと呼ばれたんだ。」 「ただいま」玄関が開き、彼の声がした。 「ほら入れよ」誰か一緒なのだろうか 最初に見えたのはピンクのバラの花束。持っている人が誰か顔が隠れて見えない。 「あかりぃ」 「なに、ヒカル」 「ほらシロ言えよ」 「藤崎あかりさん、僕と結婚してください」裏返った声がして彼女に花束が渡された。持っていたのは今日の挑戦者だった白川八段だ。「はい」 「おもしろいものみれただろ」 「あんな白川始めてみたぞ」 白川さんは彼とは中学の同級生でプロになったのも同期で同じく同期の緒方さんと一緒によく碁会所にきていた。三人の中で一番沈着冷静で密かに僕がお手本にしている人だった。この人のこんな姿を見るのは初めてだった。 オレもあかりも中一の時シロに碁を習って、それからあのふたりつきあいだしてもう十五年だからな。二十歳ン時にあいつタイトル取ったらプロポーズするって言ってさ。でもオレの方が先に取っちゃたし。そろそろどうにかしろって金子や市河さんにせっつかれて、今日だって森下先生が祝賀会だってシロのこと引っ張っていきそうだったのをこっちつれてきたり大変だったんだぞ。 |
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